煩雑な青と、それにまつわる何か。
 
子等の行く先へ。

子等の行く先へ。

ムスメが高校の入学式を迎えて十日余りが過ぎた。

同じ日に、ムスコも小学3年生へ進級。

他人様の子供は成長が早い。と良く言うが、自分の子供だってずっと早い。

 

何故か入学・進級式のこの日に限って終日どしゃぶりの雨だった。

沢山の希望や不安をまるまる抱えてそこへ放り出された。ポポーンと。

それは子等のことでもあり、親である自分のことでもあることを、改めて噛みしめる。

 

 

そういえば先日、入学式までに準備が必要だったレポート課題が終わらせられなくて苦労してたムスメも、なんとか完成までこぎ着けた。自由選択で彼女が選んだ新書が「ロボットとは何か」というもので、

双子とさえ思われるほど完成度の高い自分自身のアンドロイドを作った作者が提言している言葉のひとつひとつがとても興味深い。これから更に新しい時代が、遅からず訪れるのだろうなと感じさせる。

その中で、筆者はこう述べていた。

 

『「人は表面的にしか人を認識していない」というのはかなり真実に近いと思う。』

 

これには、自分にとって耳の痛い一言だ。

うちでぼんやり携帯をいじっているムスメを少なからず疎ましく歯痒い思いで、見かねてついつい苦言を呈してしまうし、

外で勉強してくるとか、自分の目の届く届かないに関わらず、課題に取り組んでいる姿が想像できるのを感じると、ほっとしてしまうのだ。

ムスメはちゃんと勉強してるなぁ、と。

それは、私がムスメを表面的にしか認識していないという真実に他ならない。

これではムスメもムスコも行こうとする道に迷うだろう。

 

つい道を示してばかりの自分をぐっと我慢して、道から離れた行き先を、ただ明るく照らし出すだけの役目を、私は負っていかねばならない。そう思うしかない。

ただ、子等の行く先を。

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